長かりし旅なりしかな
たどたどと
ここの多度津に
たどりつきぬ我は

多度津は、明治・大正から昭和初期にかけて四国の玄関口であり、四国の近代産業や文化を牽引しました。それらを先導したのが「多度津七福神」と呼ばれた起業家たちでした。その⼀⼈、合⽥房太郎の邸宅が多度津町本通にあります。そして実は、白秋はその「合田邸」に訪れたことがあるのです。

昭和10年(1935年)ですから今から82年前、香川旅行の際に白秋が合田邸を訪れたという記述が、彼の書いた紀行文に残っています。合田邸に住むアララギ派の同人で歌人だった合田艶子に会うためだったそうです。

ちなみに、合田邸の敷地内には白秋が名付けたという建物があります。そこは30畳の大広間のある棟で、邸を訪れた白秋がその部屋で手足を伸ばして寛いだところから「楽々壮」と名付けられたそうです。

この合田邸は、邸宅を保存維持しようという方々のご尽力により、2016年11月に初めて一般公開されました。その時は2000人の来場者があったそうです。近代文化遺産としての価値も高く、そして、白秋と多度津を繋ぐ大切な場所でもあります。